中津川宿の西の桝形で、中津川宿の中で最も古い家屋が残っている場所。うだつ(屋根に取り付けられた防火壁)の上がるまち並みとして人気があります。
明治26年(1893)に「日本アルプスの父」ウォルター・ウェストンが恵那山登山のために宿泊。江戸中期頃に建てられた中津川宿の庄屋宅で、関西風のうだつが特徴的です。
江戸時代に実際に使われた「上段の間」(床の間・書院棚付き8畳間)と、「御手水所」(便所)を移築復元。なまこ壁の土蔵では、脇本陣森家の資料を展示しています。
資料館を訪れてからまち歩きしませんか?今も中津川宿の中に息づく「江戸」を知ることができます。館内には大奥の美しい品々も展示されています。
中津川屈指の豪商間家の蔵で、大正6年(1917)に建てられました。敷地内には、キリシタン灯籠とよばれる織部灯籠(1600年頃の作)が移設されています。
ここから歴史が動いた!維新の立役者桂小五郎はここに隠れ、長州藩主毛利敬親を待ち会談をします。のちに「中津川会議」と呼ばれ、明治維新に向かうきっかけとなりました。
高松塚古墳や法隆寺金堂壁画修復を手掛けた、日本画壇の重鎮 前田青邨。歴史画を中心に、多数の名作を世に残しています。
中津川宿内で現存する蔵の中でも最大級の大きさ。倉庫入り口の大きな格子戸、ホーロー製の銘柄板など、経済のまちとして栄えたころを今に伝えます。
幕府や藩主の掟や法度が掲げられた高札場。中津川宿には東の入り口の茶屋坂に、常夜灯とともに再現されています。
実在の人物で、中津川の民話「はだか武兵衛」。石碑の前の石を歳の数だけ鳴らすと厄除けになるといわれています。