レトロな赤いポスト。江戸時代に建てられたはざま酒造の建物前にたたずむ現役のポストです。
神話の山・恵那山への参道の入り口です。ここから見るなまこ壁は、江戸時代の情緒を今に伝える、中津川宿内のおすすめの風景です。
中津川宿の西の桝形で、中津川宿の中で最も古い家屋が残っている場所。うだつ(屋根に取り付けられた防火壁)の上がるまち並みとして人気があります。
木虫籠(きむすこ)とも呼ばれる紅殻格子の向こうから、秋になると栗を蒸し上げる香りが・・・。創業元治元年。中津川を代表する老舗和菓子店のひとつです。
明治26年(1893)に「日本アルプスの父」ウォルター・ウェストンが恵那山登山のために宿泊。江戸中期頃に建てられた中津川宿の庄屋宅で、関西風のうだつが特徴的です。
江戸時代に実際に使われた「上段の間」(床の間・書院棚付き8畳間)と、「御手水所」(便所)を移築復元。なまこ壁の土蔵では、脇本陣森家の資料を展示しています。
資料館を訪れてからまち歩きしませんか?今も中津川宿の中に息づく「江戸」を知ることができます。館内には大奥の美しい品々も展示されています。
日本百名山恵那山ビューポイントのひとつ。前山を水源とする四ツ目川は、標高差1000mを一気に流れるため、美しい水がしぶきをあげて流れます。
鯉の頭をなぜると恋人ができる?新町通りにある24基の石のモニュメントの中で最強のパワースポットです。
一番奥の土蔵風建物から占いまねき猫が登場!中山道を模したポケットパークです。
中津川屈指の豪商間家の蔵で、大正6年(1917)に建てられました。敷地内には、キリシタン灯籠とよばれる織部灯籠(1600年頃の作)が移設されています。
ここから歴史が動いた!維新の立役者桂小五郎はここに隠れ、長州藩主毛利敬親を待ち会談をします。のちに「中津川会議」と呼ばれ、明治維新に向かうきっかけとなりました。
高松塚古墳や法隆寺金堂壁画修復を手掛けた、日本画壇の重鎮 前田青邨。歴史画を中心に、多数の名作を世に残しています。
「栗ハ栗ノ味デ」。もともとは十八屋の屋号で酢屋を営んでいたことが始まり。栗きんとん本家として知られる老舗和菓子店です。
中津川宿内で現存する蔵の中でも最大級の大きさ。倉庫入り口の大きな格子戸、ホーロー製の銘柄板など、経済のまちとして栄えたころを今に伝えます。
幕府や藩主の掟や法度が掲げられた高札場。中津川宿には東の入り口の茶屋坂に、常夜灯とともに再現されています。
中津川宿の東の入り口茶屋坂の高札場の上から宿場の屋並が一望できます。途中でやや北に折れて約1km続きます。
実在の人物で、中津川の民話「はだか武兵衛」。石碑の前の石を歳の数だけ鳴らすと厄除けになるといわれています。
中津川市街地を一望にできる公園で、赤い鳥居の稲荷や、首をかしげた石仏の観音堂、天神宮も祀られています。近くには松尾芭蕉の歌碑もあります。
日本百名山恵那山ビューポイントのひとつ。ほぼ真正面に臨むことができ、迫力があります。